アーレの告白: 施設の事情–その1

この文章は、アーレが今唯一コミュニケーションに使える目を使って一字一字時間をかけ書いたものを、翻訳家及びライターの方の協力を得て書きあげてます。

—————————————————————————————————

はじめに
 2014年、私は地域の総合病院(以下病院)で気管切開の手術を受けた。この時点で、ALSという難病との戦いは5年に及んでいた。最初の明確な症状が現れた時私はまだ39歳だった。3歳の娘と妊娠中の日本人の妻と共に東京暮らし。日本のデータ・セキュリティ分野では最大手の日本企業で勤務していた。

 開放的なオフィスで大勢の日本人にまじり、唯一の西洋人として私はこの会社の年中無休のモニタリング・センターのためのソフトウエア開発に従事していた。この会社は、日本の名だたる自動車企業や大手の銀行を一例に、各業界の主大手企業セキュリティソリュ-ションに一躍引き出ていました。また、社内のネットワーク・モニタリングに携わり高い評価を受けていました。高度な教育も受けておらず語学に長けているわけでもない私が英語を日常的に話さない日本人の同僚と共にそこで働いているというのは驚くべき成果だった。だが、当時の私は毎日12時間から16時間も働かねばならないことが続き、極限までストレスがかかっていた。

 

job1
母が私の働くオフィスを訪ねにきました

4年前にその会社に雇用された時、私は3ヶ月間の日本語集中コースを受けただけの素養しかもたず、その会社で働くための条件を完全に満たしてはいなかった。学歴という意味では、ノルウェーの同じ業界で10年以上にわたって働いてきた実績があったため資格はあったが、彼らが私の経歴を見た時に大きな誤解が生じていた。人事部門では、私が流ちょうな日本語を話せると理解されたのであった。面接試験の場で、人間性でも仕事の能力でも彼らを感心させた私は、彼らと共に仕事をするチャンスを手に入れた。出社1日目に私の上司は、2カ月以内に会話と筆記の両面で日本語を上達させねばならない、と言った。なんて不可能な任務だ。だが、技術面での高い知識が私の救いとなり、私は5年以上その会社で働くこととなった。悪魔のような病気に仕事を奪い取られるその時まで。

 

 

 2014年、ノルウェーの病院で私は、1日24時間私個人の面倒を見てくれるパーソナル・アシスタント(以下介助士と略す)がついた介護施設への入居を勧められた。手術の後、介護施設の職員が私のもとを訪れて、入居を勧めたのだ。私は疲労困憊し、恐怖におののいていた。その冬、私は既に7回も“臨死”体験を味わっていた。彼らはさらに、人工呼吸器をつけた患者を扱った経験が豊富な“高度な技術を持った看護師”(以下看護士と略す)も欲しいか、と尋ねた。

 

 私はこの申し出を受けた。家族が暮らしているのは狭くて古いアパートだ。そこには、様々な機械と私が共に入るスペースはない。それに、介護施設に入るのは妻と私がもっと広い場所を手に入れられるまでの一時的なものだ、と私は考えた。看護師の存在もさらなる安心感を与えてくれるだろうと説得され、私は看護師をつける提案も受け入れた。介護施設の職員はいい人達で、私は個室でプライバシーを保ちつつ、介助士 の介助を受け、経験豊かな看護師もすぐに来てくれる、という居心地のいい施設の様子を思い描いた。

Published by

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中