アーレの告白: 施設の事情– その4

この文章は、アーレが今唯一コミュニケーションに使える目を使って一字一字時間をかけ書いたものを、翻訳家及びライターの方の協力を得て書きあげてます。

————————————————————————————————-

強制移動

 その2カ月後、経営側は早朝に私の個室を“襲撃”して、1時間で荷物をまとめてくださいと告げた。病院へ移るのだ、と。先立つ取り決めもないまま、私は自分の意志に反して強制的に移されることになった。私はこの行動を止めさせようと移動を断り、電話を通じて私の弁護士と話しをさせようとしたが、経営側は弁護士との会話を拒否して断固実行した。

 病院へ移った時点で総ての介助士が私から取り上げられた。彼らは私と一緒に病院へ来ることはなかった。そこからは、看護士だけが病院の看護師と一緒に私の介護に当たった。この瞬間から、私は自分がどのくらいそこに入院することになるのか知らされぬまま、毎日厳格な介護計画に従うこととなった。1日に数回は、閉ざされた孤立した空間で90分間、ひとりきりで過ごさねばならなかった。私自身が作動出来るナースコール用のアラームさえなかった。あるのは、人工呼吸器に繋がった外部のアラームと、彼らが部屋を離れる際に私の指に取り付けてゆく脈拍と酸素濃度の測定装置のみ。これがあれば待機場所のデータ管理で彼らは私の状態が観察出来るという訳だ。だが、その装置を付けることさえ頻繁に忘れ去られた。

 あれは本当に恐ろしい入院期間だった。病院で過ごしたあの4週間に起こった恐ろしい経験のいくつかを記すつもりでいたが、それを回想するだけで落ち込んでしまうし、当時を振り返るだけで心の中は涙であふれる。

 食事や排泄、清拭、睡眠は総て時間割が決まっていた。朝、1日おきに、という時間割どおりに排泄しないと、再び排泄が許されるまで2日間も待たねばならない。部屋の温度は(介護施設の)個室より数度低い。無理矢理移動させられたことで肉体的にも精神的にも極限までストレスもかかる。このような出来事がしつこい風邪を背負い込む引き金となった。

 入院中、私は両方の腰と臀部、さらに尾骨の褥瘡(ステージ1から2)に悩まされ、さらに気道内の出血にも悩まされた。出血は悪くなる一方だった。やがて、排痰補助作業や吸引が行われるたびに吸引用のカテーテルが鮮血で一杯になった。私は自分が死ぬのではないかという恐怖にかられた。

 病院側の担当者達は何も言わなかった。彼らは深刻そうな表情になった。感染を疑われ、抗生物質を与えられたが、結局出血が止まったのは私が介護計画に逆らい加湿装置のついた人工呼吸器を決められた時間より長く使うようにしたからだった。(私は二種類の機械を使っている。肺に充分な湿度を与えるための加温加湿装置がついているものと、人工呼吸器のみのもの) 使用時間を変えてから、出血は止まった。つまり出血の理由は、乾燥した寒い部屋で1日17時間も受動的加湿器を強制的に使わされたため、気道が乾燥し、傷ついたことだったのだ。

 臥位でも座位でも、私が必要とする位置に身体を動かすことの出来る人は誰もいなかった。90分未満で体位を変えることは許されていなかったため、私はいつも長時間にわたって苦痛を抱えたままじっとしているしかなかった。ひとりで座っている時に頭が横へがっくりと倒れることも多く、このせいで首に酷い痛みが生じた。コンピュータの文字盤にも届かなくなった。筋肉はあまりに弱り、頭を元の位置に持ち上げることも出来なかった。1日に何度もこんなことが起こり、私は1時間以上その姿勢で座っていることもあった。看護士たちは時々様子を見に来たが、彼らが私のいる部屋に入ってくることは稀だった。
彼らの多くは別室から窓越しに私の様子を見ることで任務を終え、(MRSAに感染していたため、私は厳重監禁用個室に入れられていたの)私のことは完全に無視し、助けが必要だと必死にサインを送ろうとする私をよそ目に立ち去るだけだった。

 完全に横になると、コンピュータを使ってコミュニケーションをはかることは出来ない。その時はABCボードと呼ばれる両手で持ち、目線で文字を追いかける先を見て、言葉を探り当ててゆく文字盤に頼ることになる。色分けされたアルファベットが並んだシンプルなボードだ。だが、そのボードを使って言葉を綴る方法を熟知している看護士は半数だけ。
コミュニケーションをはかる能力も持たぬ彼らとともに、私は言いたいことも言えず、横になっていることもしばしばだ。
いったん、眠るために体位を横向きに寝るようにされると、目を覚ました後も、その状態が続く。向きを2時間おきに変えなくては褥瘡の予防ができないものの、初めのうちは、微妙な体位移動のみとなり、従来の180度寝る体位を変える作業をしなくなったのだ。
日中でもなるべく横になることが増える。身体を起こした状態でいることが許されるのは長くて一回につき1〜2時間。
口腔内の唾液を吐き出したり、小便をしたり、スタッフに自分の置かれた姿勢のせいで痛みが生じていると伝えたい時も、非常に不快な思いをすることとなる。

 看護士達の中には、非人道的だと、私に寄り添った介護をしようとしてくれる人もいたが、病院側の厳重な監視のため、介護計画に従わない場合は職を失い、国に追い返すと脅されていた。
担当医は、私が協力しなければ人工呼吸器のスイッチを切ると脅した。たとえば、彼らは介護計画の中に私が左側を下にして横たわる回数を記していた。ある夜、左側の腰に強い痛みがあった私は横になる時に下にするのは右側だけにしようと決めた。これが、非協力的と見なされた。医師は、私の病気の状態を考慮することなく、非人道的な介護計画を定めたのだ。この計画は、介護施設の経営側が私に貼った、態度の悪い、扱いづらい患者というレッテルに対する罰だった。

Published by

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中