アーレの告白: 施設の事情–その5

この文章は、アーレが今唯一コミュニケーションに使える目を使って一字一字時間をかけ書いたものを、翻訳家及びライターの方の協力を得て書きあげてます。

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不当な仕打ち

 病院側の担当看護士たちは、全く私の味方になることはなかった。最初から不可解でしかも、傲慢で失礼な態度をとる人が多かった。
介護施設の私の専属看護士たちが8人も同時にトレーニングを受けるという状況だというのに私が感じていた飲み込まれそうなほど大きな不満や不安は、気にすることもなかった。
看護士は誰も人工呼吸器やALSの患者に関して直接的な経験がなかった。彼らの誰も私は選ばなかったし、中には基本的な関係が築き上げられず、二人きりになることが不安な人達もいた。私に辛く当たるものもいれば、単純に私の介護をするための基本的な人間としての思いやりと忍耐力を持っていないものもいた。

 私はこの状況について介護施設と、人材派遣会社に苦情を書き送った。だが、私が書き記した苦しい状況の真実を彼らは逆手に取り、都合良く解釈して私を地元の病院に転院させる理由にした。つまり、彼らは私を”劣悪な健康状態に苦しむ患者”ではなく、ただの“問題”として見ていたのだ。

 経営側は、私と看護士間の言語の問題に気づいていない。説明しても理解ができない。実際に私の日常を見守ったことが一度もないのだから当然といえば当然だ。全員出稼ぎで他の国から来ている看護士はEU圏内の取り決めで得た技術交換で認可を受けた看護師資格を利用し、ノルウェーに出稼ぎにくる。それに対しては何の問題もないが、彼らがノルウェー語を喋れなかろうが、ノルウェーのカルチャーを知らないことで起きる末端の私が受ける負担は気にもとめない。いずれ理解する、安くて、認可のある看護士は、施設側が責任を負わなくても、看護士として彼らが責任を取ることができ、雇用側が何の負担もない。

しかし私の日常はそうはいかない。

インターネットとグーグル・トランスレートがなければ、私には彼らとコミュニケーションをはかる手段はない。現時点で私はロシア語、ラトビア語、リトアニア語、それにブルガリア語の翻訳機能を使う必要がある。それぞれの人に合わせて言語を変えるか、ノルウェー語で簡潔な指示を出さないと、看護士は訳がわからないという顔になり、自分の母国語に切り替えてくれないか、と言い出すことがあるからなのだ。

帰還

 私が入院期間を無事に生き延びられないだろう、と思っていた人は多かった。
経営側は私が戻ってくることを予測していたのかいないのか、こんな殺風景で機械的なやり方が彼らの日常なのか、私はまたもや居心地の悪い、歓迎されていない雰囲気の中、介護施設に戻った。私と長い間関係を構築してきた介助士たちはこの入院の期間に構築された新たな仕組みの中で、私の専属としての介助へ復帰することはなくなった。病院で築き上げられた、感情のやりとりがほぼない、人情のないやり方の日々が続いた。

看護士が私の介護をする中、またあの辛いスケジュールの対象となったのだ。看護士達は介護施設により厳しく監視されており、介護計画とのわずかな違いもチェックされた。私が介護施設に戻る前日、人材派遣会社の担当部門のマネージャーの女性が、看護士達が共同生活している家をわざわざ訪れた。
看護師達は介護計画に盲目的に従うよう強く念を押され、さらに彼女から「患者と親しくならないように。さもないと、職を失うことになる」と言われた。看護士達の上司である彼女は年に1,2度訪問するかしないか看護士達のもとを訪れることはないため、その時の訪問は全くの異例といえる。

 介護施設に戻って数カ月が経つ。私をとりまくシステムを監視するためにどれほどの時間と労力が費やされているか、今の私にはわかる。これを想像するだけでひたすら憂鬱で恐ろしくなる。陰では、私を病院に送り返すチャンスを掴むためにありとあらゆることが行われているように感じる。もしそんなことになったら、彼らが私の人工呼吸器のスイッチを切り、命を奪う危険性もあるのか?
先ほども書いたが、私には今まで寄り添ってくれていた介助士たちはもう専属として勤務はしていない。彼らは私に付き添う代わりに、介護施設の運動機能障害部門で看護師として働いている。私は彼らにとって優先順位の高い患者として、介護者が2人必要な作業が行われる時だけやってくる。1時間に1度あるかないかの頻度。看護士もまた厳しく監視されている。彼らがどれくらいの時間、私と一緒にいたか、どのような処置を行ったか、すべて記録されているのだ。介助士は専用の無線呼び出し器を持ち歩いている。多くの時間と労力が、私の人道的な関係を減らすために使われているように感じる。

最後に

 私は本当に酷い気分になる。私はただ、妻や子供達と一緒にいたい。
だが、それが可能になるのは、私と私の介護にかかる経費を削減するこの自治体を離れた時だけ。しかしどの自治体が私を受け入れるか?それを探すことは不可能に近い。
あまりにも長い道のりだ。今まで妻ができる限りのことをしたが何も結果として変化となりえなかった。
私が今唯一考えられるのは、人間として、夫として、父親として、そして私自身として扱ってもらえる心ある場所に移り、家族とともに過ごすのに充分な広さのある場所で暮らすために、家族と住めるだけの規模の自宅となる適応した場所を探し出すことだ。
そのためには多額のお金が必要となる。

 2017年現在のノルウェーの福祉制度では、私はプロフェッショナルによる介護も取り上げられ、隠匿されて、強制収容所のような状況に置かれていることとなる。
毎日、私には不安がつきまとい、恐ろしくなる。
ALSの患者に相応しい介護を受けていないからだ。身体は全く不自由だが、五感は無傷のままだし、認識機能は100%働いている。このような状況下で私は、人工呼吸器をつけて3年間独房のような暮らしを生き延びてきた。
この病気になってもう、7年になる。この9割強の時間を、病院の医師は、私と話をするたびに自らの死に備えるようアドバイスをする。さらに、たった10歳と7歳の子供達にまでそのことを理解できるように伝えているのか、と確認する。私らのアドバイスに決して耳を貸さなかったし、そうすることで非常に幼い子供達を必要の無い絶望や人騒がせな嘘から守ってきた。この3年というもの、家族と離れて悲惨な介護施設にいる父親の姿を子供達が見なければならかったのは本当に残念だ。

 私は生きねばならないし、父親であらねばならない。私の子供達は父親と共に成長するべきだ。私にとっても、私の家族にとっても、今の福祉はそこを理解してくれない。私は死ぬまで独房で生き延びつづけることしか与えられていないのだから、何のために生きろというのだ?これじゃあ、本末転倒だ。
私は文字どおりひれ伏して助けを乞うている。そうすれば、家族が再び一緒になることも出来るし、克服しがたい悪夢と戦うことなく生きていかれる。私は自分の腕や腰の痛みを感じ続ける。私は感覚がある。生きている。ただし、ひどく恐れおののきながら、だ。

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