なぜアーレはがんばれるのか?

病気を患って7年がたちました。正式には症状が発症し始めて8年を過ぎました。

ようやくノルウェーも夏のような温かい20度が数日続く天気に恵まれる季節になりました。


長い冬に耐え忍んできた大地のエネルギーはとてつもなく大きく、緑の濃さはノルウェーならではの不思議な新緑の色を彩ります。そこに寒冷地を代表するいくつもの種類のもみの木が針葉樹らしく静かに風に揺られて堂々と立っています。

アーレはこの季節が大好きで、この季節ならずーーっと森林浴をしていられる人でした。
それは日本で山に登っているときに、近所を散歩しているときに、ノルウェーで病気になった後の生活の中でも、常に感じられることでした。私は昔、彼に世界遺産として登録されているノルウェーでも絶景として紹介されるガイランゲンフィヨルドにいったことがあります。そこで彼に、大自然の中の本物の静寂を教えてもらったことがあります。彼の言葉は語録にしてもいいぐらい、いつも大自然の叡智に満ちているものがありました。

そんなアーレは小さいころ、
・森のあらゆるモミの木の頂点まで登って、天辺をもぎ取って、降りることを日課としたり。
・20㎞以上も離れたオスロの街に、森をコンパスも持たず走ってたどり着いて、全く同じ場所に戻ってきたり。
・バケツに妹を入れて何メートルも高いところにつくったツリーハウスに紐で引き揚げたり。
人との交わりは少ないノルウェーではならではの、大自然の中での楽しい遊びをたくさんしていたそうです。(後で知った妹はびっくりしていました)


社会人になってからは、コンピュータやインターネットのネットセキュリティに長けた才能を磨き続けていきます。私はその彼のバランス感覚は人間と自然の共生を物語っているように思っていました。

以前なら、この長い冬を乗り越えて、静かな緑を鑑賞するこの季節を共に過ごしていたのに、ここ数年はそれができません。

生活保護をずっと受けている生活から脱皮し、自分たちで道を切り開こうと決断をしたからです。私が独り立ちをし、アーレを家に呼び戻せない限り、この町には共に過ごせる選択肢がない。ところが長期化するアーレの支援を本気で想定していなかったこの町は、アーレを家に戻す仕組みの構築は不可能と突き付けてきました。

子供がようやくすこしづつ落ち着いて成長できるように周りの皆さんの力を得て整えてこれたのに、アーレのことについては、閉塞的な道しか残っていません。

シングルマザー状態で子供の道を切り開くのは簡単なことではありません。しかもノルウェーはクラブ活動、体育、音楽は日本のように教育で提供されていないので、自分たちでそのあたりをどうするか家庭ごとに結論付けないといけないのですが、自分が得たものを子供に渡してあげられないのはそう簡単なことではない。
私は就職斡旋課からいただいている、就職枠の仕事を終えてから、子供の課外活動の送迎のアレンジに夕食づくりに毎日追われているのが現状です。


アーレも書いていますが、何度ももう呼吸器をとる時期になったと思わないか、
そろそろ考えが変わらないのか、と何度も何度も町や病院の医者から突き付けられてきました。

当然、アーレに何度も身体の危機的状態が起きました。
呼吸器をつけてからは安定する、といわれてきたものの、呼吸器をつけても安定しないのは、やはりその看護の仕組みに欠如したものがあるからなのですが、そこに家族がものをいうことをこの町は認めてくれない。


そういう中で介護法が違うために、彼は苦痛を増し、今はモルフィネで痛みを緩和しています。ところがそれ以外のサポートは毎日ではなく週に2回専門家の施術を受けるのみですから、根本的な痛みは取れません。モルフィネの増量に私もアーレも敏感ですが、大の男が泣いて痛みを伝えないとならないようや状況をそのまま放置することはできません。やはり医師が進めるように増量に踏み切る。。。でもこんなことを繰り返していたら、他の器官が弱まり、長く生きられない。

そうこうあらゆる状況があっても、どんな苦境にもアーレは自分を合わせてやってきました。
でもそこには、アーレの求めている生き甲斐はない。彼はこの施設を出て私たちと暮らす道しか期待できることがないのです。
同じ階の隣の病室ではたくさんの老人が毎年数人なくなっていきます。
そこを通って彼の病室に行くとき、私は気持ちを奮い立たせて進むしかありません。

私にはたくさんの応援してくれる家族や、友人たちが日本や海外にいて、そのうえ、いつも危機的な状況が起きるたびに救ってきてくれた、海外のALS看護婦のベテランの友達との接点があります。このままだとあと数か月でなくなるだろう、と言われた時も、助けてもらったからこそ、道が開け、解決策を見出して来れました。
精神面では、どんな状況があっても、子供を学校に迎えに行って家に連れて帰ってからの家のことは、私の責任なので、帰路、車の中ですべての感情を出し切ってから子供に再会できるよう。車の中で大声で泣ききることも覚えてしまいました。そういうことを間違ったことではないと、私を後ろから押してくれたのも、そういう助けがあったからです。

私はアーレがどうしてこんなぎりぎりの生活クオリティのなかで、頑張れているのかと何度もおもうことがあります。でも、それは間違いなく、彼が自然を愛し、自然の中で全力で遊んできた日々で培ってきた強靭な肺や脚力のおかげだと思っています。

正直、私は違う国で”思いやり””家族の幸せ”、がという概念に全く違う文化があり、その価値があることを今までの経験からわかっているつもりでしたが、戸惑いを感じながら日々を乗り越えてます。介護と子育て、職探しに翻弄し、一部疲弊しています。でも、アーレは勧められても、死なないし、あきらめない。私も希望の光であれるようにと闘い続けてる。このまま死ねない。

私も彼も、私たちだけのために動いているとは思っていません。これはノルウェーに住む、難病患者の権利のために闘っていると思ってやっています。一例を作ることで、ほかの患者たちがQOL(生活の質の向上)を上げることができる権利をもっと容易に主張できるようになる。

彼は、ここ最近、同い年前後の患者たちが生きることをあきらめ、命を絶つケースが増える中も、自分は生き延びて、ノルウェーのために何かを提言しようとしているのだと、私は意味づけています。だから神様にいかしてもらっている。

だからこそ、アーレはがんばれているのです。

 

 

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