国ごとに生まれる差異

外国で、しかもその国の言語で生活が精通していない場合、また母国語の社会が周囲にない時、子育てをすることは並大抵なことではありません。アメリカで高校生活を過ごしたから、英語がまあまあ喋れるからなんとかなるだろうと、その経験から乗り切れるだろうと、簡単に考えていましたが、大人になってしったこれらの条件付きに気づいたのは、生活を営みだしてからです。
子供の時とは違う。自分が生活を回す主軸になった時に初めて気づきました。
甘かった。。。
でも、私は辛い時は日本の患者の皆さんの言葉を読んで、それを励みにやってきました。それを支えにしてきました。
アーレの勇士のヒロさんや、その他のALS 患者の方々の情報を聴いては、励まされ、刺激をいただてきました。

日本ではALS患者の皆さんに適応した環境を構築し、得ることができた方々がいて、彼らは、すでに症状を止め、意気揚々と元気に生活を営んでいらっしゃる方々が一杯います。
10年も、20年も生きていらっしゃるのです!
彼らがコンサートに、または会議に元気はつらつに参加し、また、おいしそうな食事をSNSで掲載されいる方をみれば、どんなに大変でも、一生懸命がんばれば必ず道が開けることを実証してくれています。私たちは希望をもって頑張れるのです。
日本では、すでに「この病気は死を数年後に覚悟する病気ではなく、超重症度の障害を持ちながら暮らすことになる疾患である。」という考えがうまれるところまで患者さんは充実した生活を保持できる方々が増えてきています。この言葉は日本ALS協会の川口さんから伺いました。こういう価値観を認識しだしたのは、まだ日本だけでしょう。
日本の患者さんたちの諦めない姿、制度を向上するとこまで踏み入るALS協会の存在、病院、地域ステーション等、日本社会の制度が連携を深め、有機的な共同体へと成立しているからこそ、実ったと言えます。
やはり、一辺倒ではいかないこの病気には、公営サービスの限り、保険制度の限界に情熱を持って立ち向かい、仕組みに改善のメスを入れる人が必要です。
それが多岐分野で相互作用して道が開かれるのです。
方や私たちの住む町の総合病院の脳神経科や呼吸器官科の先生にはどんなに日本や他国の事例を出し説得をしても、«何をやっても、いずれ死ぬんだからそこに時間をかけないでください”と3年間言い続けました。精神安定剤が必要で、そのために精神科医の先生に診察してもらいたい、といっても、それは不要です。の一辺倒でした。
スカンジナビアは福祉が整った福祉国家です。ですが、大多数を助けるために、少数の病気の介護には配慮が回さないのが選択肢となっています。
そうすると、地域の医療側の理解度によって差が生まれてしまいます。

これは日本においても同じで、必ずしもどこも同じように、熟成しているとは言えないでしょう。死生観がここで関係してきます。

福祉国家のノルウェー、その兄弟国のスウェーデン。社会福祉国家スウェーデンでは、ALS患者に呼吸器の装着はしない。それが法律で定められています。国によって福祉制度が違う。使える福祉費用を可能性のある人に、子供に優先的に投資する。弱者切り捨ての論理です。ノルウェーは家族構成、年齢制限などの理由で装着してもらえないなど、半々です。

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