世界で最も幸福な国-その1

この文章は、アーレが今唯一コミュニケーションに使える目を使って一字一字時間をかけ書いたものを、翻訳家及びライターの方の協力を得て書きあげてます。

“私は基本、他人を悪く書くことは好きではない。だが、外部の人間は誰もこの施設での私の暮らしを目にしている訳ではないので、このような悲惨な状況についてきちんと記録しておく必要がある。” (一部抜粋)
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 私は国連の世界幸福度報告書による「世界で最も幸せな国ランキン」で今年も1位に選ばれた「世界で最も幸福な国」¹ に暮らしている。

   だが、とても不幸だ。

私は46歳、父親で、己の意志に反して介護施設で暮らしている。
控えめに言っても、孤独になったり不安になることが日常茶飯事だ。
私の介護をしている人達は介護施設や彼らを雇っている人材派遣会社から、盲目的に私の介護計画に従わないと職を失うと常に脅されている。私を支配し、私の行動を許可している様々な介護計画の中にはこんなものがある。身体を起こした状態でいられるのは1日数回、それもたったひとりで1回につき上限は90分まで。午前12時になる前に横にならねばならず、午前6時には起床すること。介護施設は、私の介護に当たる人を全員監視している。彼らは自分の担当時間が終わると計画がきちんと遂行されたか否か、書類に記入しなければならない。計画からの逸脱も同様に記入されねばならない。介護施設に入っている総ての人達の中でこのような“囚人”のような扱いを受けている患者は私ひとりだろう。

 当然、その扱いに私は神経質になったり、悲しくなったり、落ち込んだりする。例えば時間通りに部屋を出ていくときに、ちゃんと連絡が取れるか、まず自分のPCから看護士に電話がかけられるか毎回チェックをする。一人で座ったまま放置されるときにPCが突如私の目を読まないこともある。
単純に言ってこの状況は、恐ろしいし、精神的にとても不快な状況だ。
私に関する会議は毎月担当者の間で開かれているようだが、私はそこに参加することもなければ会議の結果の報告を受けることもない。きっと、会議の出席者はみな、“お前たちは絶対に計画に従うこと!”としっかりとたたき込まれているだけだ。何も私の生活のために向上することのために何か変化があったことはほぼない。
私には患者として、
・自分自身の命について決める権利も
・愛する人達と一緒に家で暮らす権利も、

法に反して私からは奪われている。ALS患者である私が難しいし、要望が多すぎる。そして状況をコントロールしようとする、というのだ。

私の子供達は、決して家に戻らぬパパを待っている。
もう何年もたっているからここにいるのが当たり前だと思い始めているかもしれない。
しかし、私の日本人の妻は母親としてひとりで疲れを背負い込んでいるのに違いないのに、言葉や文化で彼女が助けを必要としている時も私は彼女のそばにいてやれない。

 状況は悪化の一途をたどっている。
新たな試みや変更があるごとに、妻は希望を持ち私を励ますが、結果的に確実に辛い思いをすることになる。間違った新たな計画は私の真のニーズを理解していない。今まで私を理解していた介助士たちはそばを離れ、看護士に一任する。しかも私のことを理解できていないまま、言われた計画で実行するので、私の希望を理解して動いてくれてはいない。目の前で起きること、私が依頼することに対処することだけだ。
 毎日私の介護にあたる看護師達は、担当者やコーディネイター達の態度は恐ろしいと言っている。看護師からのアドバイスや提案は強く拒絶されるのが決まりとなっている。一例をあげてみよう。私は機械ではないので常に介護計画の細かいところまでそのとおりに実行することは出来ないのでは、と看護師達が提案しても、担当者からの返答は「駄目だ。計画に従え!」だった。また、別の例としてこんなこともあった。前回の冬、私が体調を崩した時期があった。私の爪の色合いにおかしなところがあることに彼らは気づいた。このことは、病院の私の担当医に報告された。だが、ここで重大なのは、医師の反応に看護師達が衝撃をうけたことだ。報告の翌日、医師は前触れもなくいきなり私のもとへやってきて、私の手を掴むとほんの数秒、眺めた。そして、何の問題もないわと言いながら、さっさと私の個室から出て行ったのだ。彼女は明らかに不機嫌だった。その変色について私は何も知らなかったし、医師も何の指示もしなかった。彼女が部屋から出て行く間、私はあっけにとられて座っていただけだった。

 担当者や医師が不機嫌そうに、あるいは忌々しそうに、いきなり私のもとへやってきたのはそれが初めてではない。私が問題視されて強制的に転院させられた時の細かい状況については、こちらにもっと長く書き記している。この時から介護計画が始まったのだ。この“ゲシュタポ”のごとき計画が実行されるようになる以前、私はすでに2年半にわたってこの介護施設で暮らしていた。介護計画の時間割が提示された時、私は医師達にこの計画は大事だし、理に適ってはいるが、私の病気の状態には合わなかったり、厳格過ぎたりするところがある、と指摘した。みな、そこに同意はしたが、部屋を出て行った途端彼らは私の反応など忘れてしまった。その後、私の願いは全く計画に取り入れられなくなった。

 看護師達も私のことを自慢したことがある。医師や担当者は、私が肺炎や合併症を患うこともなく、褥瘡ができたこともないと告げられると、驚いたり当惑したりする。看護師に言わせると、それは私が自分の病気をよく知っていて、症状にすぐ気づくからだそうで、合併症などを起こさないことについては自分に感謝すればいいとのことだ。だが、担当者の反応は当然ながら呆気にとられるか、取り繕った表情をするか、不満げな様子しかない。以前、医師は私のことを自分の病気についてよく理解しておらず、無能力である、と言い切った。私が強制的に病院に移された時に、病院の医師達に彼女がついた様々な嘘の1つがそれだった。この発言は、そうあって欲しいという幻想だったのだろう。私が思うにそれは、私は正式に無能力な存在である、あるいは無能力であると宣告しようという悪しき試みを意図したものだったのだろう。私は、自分が診断を受けてから2年間、毎日ALSという病気について学んだ。私の病気の最大の敵は精神的なストレスだ。私には調和の取れた、心の優しい看護師達と平穏を保つことが生きてゆくうえで必要なのだ。

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