アーレが家に帰還!!? 最終章 その2

3.私たちの背景 その1
少し話が私たちの過去のブログと重なりますが、なぜアーレが家に戻りたいのか
少し新たな説明の仕方も加えて記述させてください。

ALSの患者が呼吸器を装着するということは、
体がどんな状態であろうと、呼吸器が酸素を送り、生き続けることができます。
ただし、病気の進行を食い止めれるケースは数例出ていても、大半進行はします。
おそめることができても、です。
つまり、道は険しくとも、そこに生きる意義を見出して、希望をもって強くたくましく、
生きてゆくしか道がないんです。
いずれ自分の意思で死ぬ、と言わない限り、です。

アーレはまだ始まったばかりの子供たち2人と夫婦の4人での家族を見捨てられない。
自分ができることがある、そう確信して装着したわけですが、経験がない限り、すべての不安と恐怖を担うのはALS患者である彼自身なのです。
どんなにそばにいてそれを理解して共に生きようとしても、所詮他人ごと的な不躾な一言を投げてしまうのが私であり、それをも許しながら生きてゆくしかないのがアーレの道です。

今のこの市の対応方法は、アーレの状態を思えば、一番最適なのは施設で末期を迎えること、となります。
家に戻れる手掛かりがない限り、自分は病院と同じような仕組みの上になりたつ公共の介護施設の中で、最低限の介護でただ隔離されてる状態で死ぬのを待つだけしかない。
この施設では沢山の老人がなくなってゆく階にいます。彼は、まだ47歳なのですがそういう環境に隔離されています。
そんなために声を失ってまでして呼吸器を装着して生きる道を選んだんではない!!

呼吸器装着と他人を信頼して生きるうえで必要なことをすべて他人にしてもらうこと。
一匹狼肌だったアーレにはなかなか受け入れられないこともいっぱいでした。

それでもようやくここまできたのです。体調は整い、昨年のクリスマスのFBではアーレの元気な姿を公開することができました。


ですが、福祉国家であるノルウェーは物価が、税金が高い。
恩恵を受けているので一概に不平があるわけではありませんが、我が家のように、
父親が重度障害で、母親が外国から来てノルウェー語を完璧に話せないような家庭ではほとんど無理なことです。

そして今の家は、ALS患者が必要とする器具とその周辺に必要な空間、そして介護の人たちが24時間交代で滞在して働ける労働環境が成立しないと承認されません。
そこで、私たちは家を引っ越すことを検討し始めました。

〔2015年秋~2016年末の私の計画案〕
私はアーレを他の市に移せないか、他の市の施設を調べそこの施設長と会い、相談をしました。いくつもの市に相談し、問い合わせしました。
ALSを熟知しているオスロの2か所の施設に転移させてもらえれば、安定した生活に体力を蓄えて一緒に住む家が近づけるのではないか。
ところがそれらの市の担当課に行けば、省庁に回され、省庁に談判しにいくものの、現実味に話が帯びると、結局暗礁に乗り上げました。
今の施設から出ることができない限り、他の市町村で自宅介護ができることはない。
そして家に戻れる状態になれば、適材な場所かどうかを多岐にわたって吟味したうえで、決定する。そんな風に考えていました。

ところが、自宅介護ができる状態になってからではないと、引越ししたい市町村が見つかってもその新たな市町村が自宅介護に受け入れてくれることはできない。

〔2017年~の案〕
ノルウェーでALSを熟知し、かつ自宅介護に前向きな市で唯一私が困難なく移動できる、と思っていたのは、オスロとトロンハイム。オスロが施設でしか受け入れられない。唯一の頼みは、トロンハイム?東京から、島根県ぐらい遠くまで離れた距離にあるあの町へ、どうやって引っ越しするんだろうか?

なんとかノルウェーで無事子供らしく生きて行けている娘たちのことも考えれば、
離れすぎた市町村への引越しにかかる賭けが、子供たちにかけるリスクになる。
アーレが家に帰るときに起きるマネージメントに私が注ぐ力と
子供たちへの母親力は相反する部分があるため、
家のことをまとめる私には切実な問題です。

“こどもはどこにいてもたくましく育つよ。でも、命には帰れないだろう。”
“こどもの成長期を考えれば、本当にそれがベストなのか?”
心ある友人たちに、説得、反論、問われ続けてきました。

答えは今は出せない。じゃあ、比較的オスロの近郊のこの土地に家を探せるのか?
とりあえず、今の家は小さすぎて、アーレは住めないのは顕著。
重症度の患者がローンを組むのは難易度が高いので、
私が定職を得てローンを組めるようにするしかない。

私は今いただいた機会である学童での仕事を就職斡旋課の枠で臨時職員の枠をいただき、
期限付きで働き始めました。同時に就職活動を行うこと2年、
こうしてつないで生活を営んでいました。

そしてこの夏、児童学のクラスを受講。さらにノルウェー文化の考え方を理解するために努め、その試験に合格。そのタイミングで、就職も決定しました。

アーレが帰還するまではフル就職は控えておきたいので、半日しか働いていませんが、
この道を願って3年活動をしていたことが、アーレが家に帰れることにつながったと確信し、
大変喜んでいました。

 

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